ティール組織① フレデリック・ラルー

組織論についての書籍。組織には5つの型がある。

・レッド:トップの意向に基づいて行動することが望まれる。

・アンバー:不変の規範に基づいて行動することが望まれる。

・オレンジ:成果を出すように行動することが望まれる。

・グリーン:組織の目的に沿って行動することが望まれる。

ティール:個人または同僚の考えに基づいて行動することが望まれる。

 

それぞれの型は適切な使い方がある。

レッド:公権力が安全・安心を保証できない場合

アンバー:環境の変化がほとんどない場合

オレンジ:新しい事業を始める場合

グリーン:アンバーとオレンジの融合。サービス等を提供する対象が多岐にわたっているが、行動の原則は不変の場合。

ティール:アンバーとオレンジの融合。サービス等を提供する対象が多岐にわたっており、かつ、行動の原則も変わる場合。

 

また、組織の型がティールだとしても、従業員のあるグループを見るとアンバーになっている場合もある。(=何をするべきかグループ自身で考えよ、というティール的な指示に対して、アンバー的な従来のやり方を継続する、という選択が常に選択されるグループ、など。)

 

本書は、マルクス・エンゲルスのように、全ての組織は必然的にティール組織へと移行する、という主張をしているわけではない。「階層構造を持たない組織も存在でき、それは特定の環境下では階層構造よりも有効に機能できる」という発見を与えてくれるものである。

 

日本企業は従業員の自律性を重視してきた(ニンベンの付く自働化、等)。これまではその組織運営の方法に対して「トヨタ式」や「日本式経営」(終身雇用・年功序列企業別組合による従業員の自律性の維持)などの名前があった。これらは日本独自のものとして捉えられてきた感があるが、それを本書では「ティール組織」、つまり個人とその同僚たちの自律性による組織運営、として再構築している。

 

本書では、上記のような従業員の自律的な活動で運営される階層構造を持たない組織をマネジメントするためにはどのようにすることが良いのか、ということも教えてくれる。(ボトムアップをどう機能させるか、など)

ティール組織では、従来の上司からの指示のような、強制力のあるプレッシャー、動機付け、示唆、フィードバックは有効ではない。その代わりに、同僚からのそれらが有効になる(ピア・プレッシャー)。例えば、個人面談よりもグループミーティングのほうが有効になる。その際、管理者的な立ち位置にいる者は結論に誘導させることはせず、あくまでファシリテーターとして行動し、結論はグループメンバーに導出させる。

また、同僚に対して適切なプレッシャーを与えるためには、自身がプロフェッショナルとして行動しなくてはならない(セルフ・マネジメント)。つまり、ある特定の状況下で、自身はなぜその行動を取るべきであると考えたのか、を説明できなくてはならない。管理者は、あるグループをティール組織的に活動させたいと思ったら、従業員になぜその行動をしたのかの理由を答えさせたり、その根拠を調べさせたりする必要がある。

例えば、

「指示されたとおりに昔から行っています。」(レッド的/アンバー的)

という回答を、

「社内規定XXXXにはAAAAのように記載されていますが、私たちはBBBBのように行っています。なぜならCCCCだからです。この処置について、お客様と調整し同意をいただいています。その記録ですか?YYYYに残っています。もちろんグループのみんなも知っていますよ。」

のように変えさせないといけない。

 

これを実現するためには、全てのグループメンバーが全ての必要な情報に容易にアクセスできなければならない。これは、従来は小規模、かつ、共通の組織文化を持つグループでしかできなかった。しかし、近年では情報システムの向上によりグループの規模が大きくなってもその実現が可能になってきている。

 

ティール組織が有効に機能する状況を見極め、適用し、マネジメントすることでグループをより有効に機能させることができる。また、その前提として、グループメンバーのプロ意識の醸成と、インフラの整備も併せて必要であると考える。

 

 

かがみの孤城 辻村深月

中学1年生の安西こころが、同級生からのいわれのない言葉と暴力にショックを受け、学校に行けなくなっているところ、家の鏡から「かがみの孤城」に入れるようになり、そこで同じ学校の中学生と交流し、成長していくという話。

前半部分は学校に行けなくなるほどのショックを表現するためか、陰鬱な表現が多いが、中盤からは楽しく読める。

 

「たかが学校」。とはいえ、小学生~高校生にとっては、学校が生活のほとんどを占めることが多い。友達も学校や部活の同級生ばかり。その中で孤立してしまったら復帰することは難しい。本人が復帰しようと思っても、周囲が復帰を認めなければ復帰できない。

そんな境遇になってしまったら、解決策は学校の外にある。学校の外でやるべきことを見つけ、友達を作って、日常を回復させる。本作では勉強は学校の外でするという選択肢、勉強をせずに手に職をつけるという選択肢も提示されている。(勉強しないのはハイリスクである、とも述べられているが。)

大人になっても、「たかが仕事」ということは難しい。意に沿わない仕事をやめられずに体調を崩すこともある。昼夜待機を求められ、家族や友人との旅行に出かけられないこともある。自分だけ要求された仕事ができず、同僚から笑われることもある。サポートを得られず、ひたすら考え続けることもある。

そんな時、意外とカネで解決できることがある。書籍で知識を得る、セミナーに参加しディスカッションする、職場にベッドと毛布を持ち込んだり、近くのホテルに泊まったりして睡眠時間を確保する、など。

問題に対して戦うためには、いろいろなアプローチがある。若者にはそれを伝えるとともに、自身でもアプローチ方法を探すよう心がけていくようにする。

 

 

かがみの孤城

かがみの孤城

 

 

「死」とは何か①シェリー・ケーガン

 Audiobookの2冊目。ボリュームがあるのでまだ読んでいなかったが、通勤途中の自転車等で少しづつ聞いていく。

人はいつ死ぬのか。その問いに答えるために、人体の機能であるB機能と、人格の機能であるP機能を考える。B機能だけが生きている状態がいわゆる脳死であり、P機能だけが生きている状態が魂の状態である。

私の考えでは、B機能の喪失は生命としての機能不全であり、P機能の喪失は世界からの消滅である。人は必ずB機能を失うが、P機能は失われない場合がある。それは例えばアリストテレスであり、紫式部であり、手塚治虫であり、ジャニー喜多川である。その人の生命が機能を失っても、その人が考えたこと、つまり魂は世界によって維持される。

人が死ぬとき。それは生命としては心臓又は脳の停止のときであり、魂としては世界から忘れられたときであると考える。

 

「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 日本縮約版

「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 日本縮約版

 

 

君の膵臓をたべたい①住野よる

audiobookでの1冊目。主人公は鈴村健一でヒロインは堀江由衣。聞いていて楽しい。

高校生の内面の成長を描いた物語。自分一人で完結した世界を持っていた主人公だが、ヒロインと出会い、他者からの影響を受けて変わっていくこと、また、自身で完結していると認識していた主人公も他者に影響を与えていたことについて気づいていく。

更に、自らは流されるままに生きると考えていた主人公だが、終盤には全ての生じることは自分の選択の結果であると強く認識する。

人は、ただ生きるだけでは不十分であり、人類の価値を増大させることで十分となると考える。そのための方法として、仕事、コミュニティの活動、作品の制作、情報の整理などが挙げられる。自ら価値の生産者として生きることによって自身と他者の得るところが大きくなる。

一方で、社会の中で生きていることは、同時に社会に価値を与えている。少なくとも2人が存在していれば意見の交換という価値の増大活動ができる。仮に会話がなくとも、相手の振る舞いを見ることで自身の振る舞いを振り返るという活動をできる。当初はヒロインが主人公を見て学ぶという一方的なものだったが、互いに会話を持つことにより、ヒロイン及び主人公のどちらにも価値の増大が生じた。終盤では主人公はヒロインの親友との交流も行い、この際も主人公及び親友の両者の価値の増大が見られている。

児童期から思春期にかけて、子どもは親の庇護のもとにあり受け取るだけの消費者から、社会に価値を与える生産者へと移行していく。子どもによってその速さはまちまちであり、ヒロインのように中2で気づくこともあれば、主人公のように高2で気づくこともある。子どもがその段階にいつ来るのははっきりとは分からないが、子どもが自立していくよう少しづつサポートしていきたい。

 

 

君の膵臓をたべたい (双葉文庫)

君の膵臓をたべたい (双葉文庫)

 

 

見守る子育て①小川大介

「頭の良い子」とは、「自分の強みを社会で発揮できる子」である。

そのような子に育てるために、親が示すべき態度は3つある。それは「認める」「見守る」「待つ」である。

「認める」ことで、その子の得意な部分を伸ばすことができる。それは将来、その子にとっての強みになる。

「見守る」ことで、その子が夢中になる時間を作ることができ、知識や体験をその子のものにすることができる。子どもが自ら対象を選び、それに対して親が関わりを持つ、という姿勢が望ましい。ただし、勉強するのが当たり前という考え方、情報を取り入れる技術及び新しい環境に出会うチャンスは親が子どもに積極的に与えるとよい。

「待つ」ことで、子どもに良い失敗経験を積ませることができる。また、親に余裕が生まれ、子どもにとって安心できる環境を提供させやすくなる。

 

我が家の教育方針は、子どもに十分な食事、運動、睡眠を与える、だが、長男が小学生になり、学校の勉強もできるようにする必要がでてきた。長男は夏休みから公文式を始め、勉強をまとまった時間する習慣もついてきたように感じる。その習慣を維持しつつ、頑張りを認め、勉強を見守り、成果を待つようにしていきたい。

 

 

頭のいい子の親がやっている「見守る」子育て

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